真瀬中州流谷川龍山派本筮易石井清龍ご宗家さま、先生のホームーページをこの世を生きるよすがの一つとして読ませていただいていますが、きょうまた改めてご宗家のセンシブルなご透察にただただ恐縮いたしました。許可なくご宗家のお名前を出して書いている失礼をお許しください。すみません。それと、いうのも、
幼い子ども二人、米山豪憲クン(7)と畠山彩香ちゃん(9)を殺したとされる秋田県藤里町の畠山鈴香容疑者(33)のことを書き記そうとし、その犯罪動機について、ご宗家がほとんど完璧なまでに書かれていることにただただ驚いたからです。(注・石井清龍宗家は地名を特定せず氏名もイニシャルで書く配慮をされています。つまりきょうのこのわたしの日記はわたしの勝手な甘甘な解釈によるものです。いわゆる自己責任です)。
犯罪動機-----。。。
(本筮易HPに書かれている文章のアレンジですが)----甘えたで我がまま盛りの無邪気で話し好きな7歳の男の子、豪憲クンです。生活保護所帯の隣の家のおばさん(33)に対しても遠慮とか配慮はできません。当然ですよね。でも、
手のかかる娘をかかえて職もなく生活保護で暮らしているのに、豪憲クンはお父さんお母さんの自慢話をやめなかった。晩御飯が美味しかったと何度も話した。買ってもらったオモチャを見せびらかす。何か買ってもらったら、すぐに飛んでくる---なんだ、この子は、、 私をいじめているのか、、---。---私だってお金があれば----。----おばちゃんの家は貧乏なの?----。バカ野郎! クソガキ! いまに見ていなさい。豪憲クンの話は、おしゃべりは、傷つく内容だった。本当に憎かった。
私の人生、彩香のおかげで貧乏くじを引いてしまったんだ。この子がいなけりゃボーイフレンドとも、もっとうまくつきあえたのに。可愛いと思ったことも、ないことはない。でも、なん
の得にはならないはね、子どもっていうのは。私はもっといい暮らしがしたい。いいものを食べて、いい洋服をきて、サンダルはいてスポーツカーでロングヘヤーなびかせ、町へ、東京に出て行きたい----。でも---現実は、、、。やっぱり負け組なの、私は、、、。なにぃ! 豪憲クンとおなじ物を買えだと、おなじ所へ遊びにつれていけぇ! 毎日毎日、うるさいわね、あんたは私をなんだと思っているのよ、、。あんたのせいでこんなことに、、、。よし、わかった、私は私を束縛しているもの、いじめるものから自由になって、もっとステキナ私になる。(本筮易石井清龍宗家の節度ある文章の方が正鵠を射ておられるので右欄の本筮易リンクからご確認下さい)
---それにしても、いまだに報道機関などは「殺害動機がわからない事件」と論評しています。しかし、わからないどころか、じつは犯罪動機としてはあまりにもクラシカルな、よくある、嫉妬、恨み妬(ねた)みによるものだった、ということになります。
「わからない動機」ではなくて、「わかりたくない動機」ともいえるかもしれません。嫉妬、恨み、妬みなら、だれにだってある感情の一つですものね。わたしにも、あなたにも。コワイですね、わたしもあなたも畠山鈴香容疑者とおなじ感情をもったおなじ人間なんです。かつて東京護国寺でも母親が子どもの友達を殺害した事件がありました。近々滋賀県でも母親による同種の殺人事件がありました。殺人者とわたしたちは、おなじ地平でおなじような感情の波にに翻弄されつつ生きています。
でも、わたしは、あなたは、殺人はしない。---だから大丈夫、でしょうか?
以下はわたしのお節介な敷衍(ふえん)です。嫉妬、妬みは、胡椒や七味のちょっとしたふりかけなら、場合によっては人生の隠し味ていどには活かせますが、しかし、嫉妬、妬み、恨みが強く持続すると、他者を殺さないとしたら、その強いマイナスエネルギーは反転して自分自身を殺害する放射線になってしまいます。じわじわと心だけでなく体まで蝕んでゆきます。はけ口のない妬みは自分を殺しますから注意してください。原因のつかめない体調不調、病気、、、あるいは仕事、家庭、、、なにかの目標への障害の数々の理由のなかにこの強い妬みが核心になっていることがままありますよ。
その核心がわかったら、さっと手放してくださいね。自由になりたいなら、他者からの自由を目指すのではなくて、自身の感情から自由になってください。なりましょうね。
畠山鈴香容疑者が他者からの自由を目指して得た”ステキナ私”とは何か。警察をあざわらい、もてあそび、新聞、テレビ、週刊誌などの記者やカメラマンに取り囲まれて、インタビューに答え、笑い泣いて、世間の注目を一身にあびて、それはしかし恍惚の”一瞬の5月”でした。そういう意味では彼女は勝負に出て目的を達したといえますね。男性犯罪者とちがって、いかにも女性的というか身の丈にはまる身近な幼児の命を食べてしまうといいう行為でしか実現できなかった咎(とが)は鈴香容疑者にとっては、もうどうでもいい、あの世のお仕置き同然なのかもしれません。
彩香ちゃんが残した日記帳には「○○ができるように、がんばります」「○○になれるように、がんばります」「○○を、がんばります」とあったそうですね。幼い命のかぎりを尽くして母親という母性に甘えたかった彩香ちゃんをおもうと涙がとまりません。「もらったお年玉をお母さんにとられてショックだった」とも。。。
彼女には「復讐するは我にあり」(聖書・ローマ人への手紙の一節。復讐は神の専権事項。作家佐木隆三氏の直木賞受賞作の題名)という綾なることばも届かないのがなんとも口惜しく悔やまれます。
なお蛇足の蛇足ですが、かつて日米の捜査機関をふりまわした殺人事件の報道にもふかく関与したこともある謎の「X」(ペケではなくエックス)によりますと、今回の事件は「幼児連続殺人事件」としてとらえたほうがいいと、ざっくりした無味な現実的な注釈をしてくれています。
ふーん、なるほど、どうやら現実は、そういうラベルを塗布し記号化し過去へと処理することで次なる現実の波をあびることになるのでしょうねえ。でも。